大判例

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大阪地方裁判所 昭和53年(わ)2655号 判決

主文

被告人を罰金三万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人浜渕信治に支給した分は被告人の負担とする。

本件公訴事実中、有印私文書偽造、同行使の点については、被告人は無罪。

本件公訴事実中、登録不申請の点については、被告人を免訴する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、朝鮮人で、金哲秀名義の外国人登録証明書を所持していたものであるが、昭和五二年一〇月一五日、大阪市淀川区十三東一丁目一八番二一号所在の大阪市淀川区役所において、同区長に対し、外国人外録の確認申請をするにあたり、自己の氏名、生年月日につき「金哲秀」、西暦「一九二五年一一月二七日生」とそれぞれ事実に反した記載をした登録事項確認申請書一通を同区役所戸籍登録課登録係員浜渕信治に提出し、もつて登録事項確認申請に関し虚偽の申請をしたものである。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は、昭和五五年法律第六四号外国人登録法の一部を改正する法律附則六項により、同法による改正前の外国人登録法一八条一項二号、一一条一項に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金三万円に処し、右の罰金を完納することができないときは刑法一八条により金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用中証人浜渕信治に支給した分は、刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人に負担させることとする。

(公訴事実第一及び第三に対する判断)

一  本件公訴事実中、第一及び第三の事実は、

被告人は、朝鮮人であるところ、

第一  昭和二四年ころ、本邦に入国し、大阪市淀川区東三国四丁目一九番六号等に居住していたものであるが、右上陸の日から六〇日以内に所定の外国人登録の申請をしないで、その期間をこえ、同五三年五月三日まで同所等本邦に居住在留し

第三  他人である金哲秀名義の再入国許可を取得して本邦外の地域である北朝鮮に向け出国しようと企て、昭和五三年三月二三日ころ、大阪市内において、行使の目的をもつて、ほしいままに法務大臣宛の再入国許可申請書用紙の氏名欄に「金哲秀」、生年月日欄に「一九二五・一一・二七」、申請人署名欄に「金哲秀」とそれぞれペンで記載し、同欄の金哲秀名下に「金哲秀印」と刻した丸印を押捺し、もつて金哲秀名義の再入国許可申請書一通を偽造したうえ、同日同市東区谷町二丁目三一番地所在の大阪入国管理事務所において、同事務所入国審査官大本正二に対し、右偽造にかかる再入国許可申請書をあたかも真正に成立したもののように装つて提出行使し

たものである、

というにある。

二  当裁判所の判断

(一)  右公訴事実第一の事実(登録不申請)について

1 第一七回公判調書中の被告人の供述部分、第六回ないし第八回公判調書中の証人多田千代治の供述部分、司法警察員作成の昭和五三年五月八日付、同年六月一四日付各捜査関係事項照会書、大阪芸術大学学長塚本英世作成の「捜査関係事項照会回答について」と題する書面、法務省入国管理局登録課長作成の昭和五一年一月三一日付、同五三年六月一四日付「外国人登録照会について(回答)」と題する各書面、司法巡査作成の昭和五一年五月八日付「金哲秀の外登原票貼布写真の複製について」と題する書面、朴起順、朴東〓、金河愛、西本澄夫、牛尾啓二、上田妙子、後藤絹代及び依田政江の司法警察員に対する各供述調書、朴東〓、金河愛(昭和五三年六月七日付)及び金錫保の検察官に対する各供述調書によれば、次の事実が認められる。すなわち被告人は、昭和二四年一〇月ころ、当時日本に在住しいてた実兄金重遠を頼つて釜山の近くの港から漁船で密航して本邦に渡り、兄のいる松江に来て居住するに至つた。そして、兄から在日朝鮮人は外国人登録をしなければならないといわれたので、その指示に従い、翌昭和二五年一月ころ、自分の写真を兄に渡して登録手続を依頼し、同年五月ころ、兄から大阪市生野区長発行の金哲秀名義の外国人登録証明書を受取つた。その際、登録証明書の氏名が自分の名前と違つていることを知つたが、自分の写真が貼つてあるうえ、兄からも日本に居住するときは「金哲秀」が被告人の名前であると説明され、また、兄自身、外国人登録上は金建という名前を使つており、同じく当時来日していた被告人の四兄の金平遠も外国人登録上は金平という名前を使用していたので、被告人としても登録上の名前がなぜ金哲秀となつたのかにつきそれ以上の詮索をせず、金哲秀を自分の名前として使うこととした。そして以後、金哲秀名義で、昭和二七年一一月五日、昭和二九年一〇月二五日、昭和三一年一〇月二五日、昭和三四年一〇月一五日、昭和三七年一〇月一〇日、昭和四〇年一〇月二〇日、昭和四三年一〇月一九日、昭和四六年一〇月一九日、昭和四九年一〇月一六日付で、それぞれ外国人登録令ないし外国人登録法所定の登録確認申請を行ない、その都度金哲秀名義の外国人登録証明書の交付を受けて現在に至つた。右の金哲秀名義の最初の登録は、昭和二三年六月一六日に行なわれ、氏名は「金哲秀(金山良一)」、生年月日は「一九一九年一一月二七日」、国籍の属する国における住所又は居所は「朝鮮済州島不明郡朝天面朝天里」とし、被告人とは別人の金恒秀なる人物の顔写真が貼付してあつたものであるが、いかなる経緯によるかわからないが、昭和二五年一月三〇日の第一回の登録確認申請の際に、右金恒秀の顔写真にかえて被告人の顔写真が大阪市生野区長に提出されて登録原票に貼付されると共に、生年月日を一九二五年一一月二七日と変更され、被告人の顔写真が貼付された金哲秀名義の外国人登録証明書が交付され、これを被告人は、右のように兄から渡されて入手したものである。なお、右の昭和二七年一一月五日の登録確認申請時以降、国籍の属する国における住所又は居所が済州島旧左面細花里に変更され、以後継続してその旨の記載がなされてきている。

2 また、第一四回公判調書中の証人李教舜の供述部分、朴起順及び後藤絹代の司法警察員に対する各供述調書、一九七一年八月二六日版共同新聞抜粋、月刊雑誌朝鮮研究一九七二年一二月号所載の下北半島と「浮島丸事件」、月刊雑誌統一評論一九七五年七月号所載のルポ隷属漁業(1)及び同誌八月号所載のルポ隷属漁業(2)、同誌一九七七年四月号所載の朝鮮人と大阪その昔と今、陳竜雲外二五名発信にかかる金得遠宛年賀はがき二六通、統一評論社外四五名発信にかかる金哲秀宛年賀はがき四六通、一九六一年一一月一六日版、一九六二年二月三日版及び一九六五年九月二四日版各朝鮮新報抜粋写、朴慶植著朝鮮人強制連行の記録写によれば、次の事実が認められる。すなわち、被告人は、記者として朝鮮新報社に入社した昭和三六年九月ころから、金得遠名義で朝鮮新報紙上に記事を書く一方、朝鮮総連系の出版物に金哲秀名で文章を発表しており、知人、友人、その他の関係者から金得遠のほか金哲秀の宛名で被告人に多数の年賀状が寄せられており、また昭和四五年九月から昭和五〇年一一月まで被告人が東大阪市喜里川町に住んでいた当時、自宅の玄関に被告人の妻の日本名である平井のほかに金哲秀の表札をかかげていた。

3 また本件記録によると、被告人は、本件についての捜査段階での取調べに際し、司法警察員及び検察官に対する各供述調書に、いずれも金哲秀名義で署名していることが認められる。

4 なお、金忠男、森光治の司法警察員に対する各供述調書、高承京の検察官に対する供述調書及び法務省入国管理局登録課長作成の昭和五三年六月一五日付「外国人登録照会について(回答)」と題する書面によれば、金哲秀なる氏名は、昭和二七、八年ころ大阪で露天商などをしていた松本こと朝鮮人金恒秀なる人物の仮名であつて、同人は昭和三五年ころ家族とともに本邦を引揚げ、北朝鮮に帰国していることが認められる。

以上認定の1ないし4の事実によつて考えるに、被告人は、本邦に入国した昭和二四年一〇月ころから六〇日以内に、当時施行されていた外国人登録令(昭和二二年勅令二〇七号)所定の外国人登録の申請を行なわずに本邦に在留したのであるから、被告人が本邦入国後六〇日を経過した時点で同令四条違反の罪、すなわち登録不申請罪が成立し、以後登録手続がなされるまで右不申請の状態が継続しているものといわなければならない。しかしながら、被告人は、昭和二五年一月になつて、兄に外国人登録手続を依頼したところ、いかなる経緯によるものか判然としないが、金哲秀名義の登録確認申請の際に、生年月日を一九二五年一一月二七日とし、登録の人物の写真として被告人の顔写真が提出されたために登録原票にその旨の登録がなされ、金哲秀名義でかつ被告人の顔写真を貼付したあらたな登録証明書が交付され、これを被告人が兄から入手し、兄から言われかつ当時通名による外国人登録がかなり行なわれていたところから、被告人も以後右金哲秀という名前を本名の金得遠と共に通名として用いることとし、その後昭和四九年一〇月一六日まで一一回にわたり、金哲秀名でかつ人の同一性を認めるに最も重要な資料である被告人の顔写真を提出して、その顔写真の人物すなわち被告人自身についての登録確認申請手続を懈怠せずに行なうと共に、登録事項の変更申請も所定の手続に従つて行ない、また外国人登録以外の社会生活の分野においても本名と併せて金哲秀の名を公然と使用してきたものであるから、被告人は、昭和二七年一一月五日の登録確認申請をはじめとして昭和四九年一〇月一六日の登録確認申請迄の間、所定の時期に、本名ではないにしても金哲秀という通名で外国人登録法所定の登録確認申請手続を経てきたものということができる。ところで、外国人登録法一一条の登録確認申請(以下登録確認申請という)は、同法三条一項の新規の登録申請(以下新規の登録申請という)とは異なるものであつて、被告人は、右新規の登録申請を行なつておらず、右登録確認申請をしたからといつて右新規の登録申請をなしたものと言うことができないことは勿論であるが、右新規の登録申請といい、右登録確認申請といい、いずれも同法一条所定のとおり本邦に在留する外国人の居住関係及び身分関係を明らかにすることにより在留外国人の公正な管理に資するためになされるものであり、申請手続の点でも、いずれも旅券及び写真三葉を提出し、事柄の性質上、新規の登録申請では外国人登録申請書を、登録確認申請では登録事項確認申請書を提出する点が異るほかは、これらの手続を行なうことにより、申請にかかる外国人の氏名、生年月日、性別、国籍、国籍の属する国における住所又は居所、出生地、職業等同法四条一項の一ないし二〇号所定の事項が明らかにされ、その旨の記載のある外国人登録証明書が交付されるのであつて、内容において両者異るものではなく、同法一条所定の目的は右のいずれの手続によつても達せられるものというべきである。してみると、新規の登録の申請義務が履践されていない状態において、登録確認申請がなされることにより当該外国人について同法四条一項一号ないし二〇号の事項が明らかにされるに至れば、たとえその内容が虚偽の事実を含むとしても、その申請について同法一八条一項二号の虚偽申請の罪が成立することがあるのはともかくとして、新規の登録申請の為されていないことにより生じている違法状態は実質的に終了し、同法一八条一項一号、三条一項の登録不申請罪は終了するものと解するのが相当である。したがつて、被告人が、昭和二七年一一月五日の登録確認申請ないし、おそくとも昭和四九年一〇月一六日の登録確認申請をなすことにより、同法一八条一項一号、三条一項の登録不申請罪は終了し、その時点から公訴の時効は進行を開始しており、昭和五三年六月二二日になつて公訴提起のなされた本件第一の罪は、刑事訴訟法二五〇条五号によりすでに公訴時効が完成しているものというべきである。

以上の次第であるから、被告人の公訴事実第一の登録不申請の所為については、同法三三七条四号により免訴の言渡をする。

(二)  公訴事実第三の事実(有印私文書偽造、同行使)について

前記(一)の1ないし3で認定した事実が認められるほか第一七回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の司法警察員に対する昭和五三年六月二二日付供述調書、第一〇回公判調書中の証人大本正二の供述部分、第一一回公判調書中の証人梅原武の供述部分、技術吏員杉山彰吾作成の鑑定書、押収してある再入国許可申請書二枚(昭和五四年押第四二一号の二、四)、金得遠名義の名刺一枚(同号の三)、封筒(宛名金得遠)一通(同号の五)、金哲秀名の丸型印鑑一個(同号の六)によれば、前記公訴事実第三にそう事実、すなわち被告人が金哲秀名義の再入国許可を取得して、本邦外の地域である北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に向け出国するため、大阪市東淀川区山口町二三七番地所在の朝鮮新報社大阪支局の被告人の事務所において、法務大臣宛の再入国許可申請書用紙の氏名欄に「金哲秀」、生年月日欄に「1925・11・27」、申請人署名欄に「金哲秀」とそれぞれ記載し、署名欄の金哲秀の横に「金哲秀印」と刻した丸印を押捺して金哲秀名義の再入国許可申請書を作成し、昭和五三年三月二三日、同市東区谷町二丁目三一番地所在の大阪入国管理事務所において、同事務所入国審査官大本正二に対し、右再入国許可申請書を提出して行使したこと、及び被告人が同時にその場で渡航目的を疎明する資料として北朝鮮にいる兄から来たという金得遠宛の手紙を提出し、封筒の宛名が金哲秀でないことにつき、金得遠の氏名も使用している旨同審査官に説明して、背広のポケツトから金得遠名義の名刺を取り出し、右封筒とともに同審査官に提出していることが認められる。

以上の事実関係により考えるに、被告人は、金哲秀の名を、被告人が朝鮮新報に入社した昭和三六年九月ないしおそくとも被告人が右の名前を自宅の表札にかかげたことの明らかな昭和四五年九月以降は、被告人の人格を示す名称として使用してきており、右名称は、単に被告人の身内や周囲の限られた範囲にとどまらず、社会生活上一般に通用するようになつていたものと認められるから、被告人が再入国許可申請書を作成するに際し、自己の本名によらずに金哲秀と署名するなどして同人名義の文書を作成しても、それは、被告人の通名をもつて私文書を作成したものであり、私文書の作成名義を偽つて私文書を偽造したということにはあたらないものといわなければならない。したがつてまた、右私文書を入国審査官に提出しても、偽造私文書を行使したものということもできない。

以上の次第で、被告人の公訴事実第三の有印私文書偽造、同行使の所為はいずれも罪とならないから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、本件起訴は、捜査手続に重大な違法があり憲法三一条の保障する公正な手続による裁判の保障に反するので、公訴棄却または免訴の判決をするべきであると主張する。すなわち、(一)大阪府警察本部外事課は、昭和四八年ころすでに被告人が金得遠であるという聞込みを得、同四九年三月二七日には金得遠の戸籍を入手し、同五一年一月二九日には金哲秀名義の登録原票の取寄せをして最初の登録には別人の写真が貼付されていることを知つていた。ところが被告人にはなんらの事情聴取もなさないまま機会をうかがい、被告人が朝鮮民主主義人民共和国へ渡航し、帰国した直後に逮捕し、その所持する取材メモ等本件と関係のない書類を押収し、さらに、自宅の捜索押収をして本件と関係のない書類の押収をした。これは、刑事手続に名をかりて朝鮮民主主義人民共和国に関する情報を収集することを目的とし、かつ、昭和五三年六月一四日付韓国政府系の新聞である統一日報の報道からみて、被告人が加盟している在日朝鮮人総連合会(以下、総連ともいう)が違法な手段で朝鮮民主主義人民共和国と連絡をとつたかのごとき政治宣伝をなさんがためのものであつて、共和国敵視政策の一環として逮捕したと断ぜざるを得ない。また、本件のような外国人登録法違反事件は、被告人に任意出頭を求めて事情聴取を行えば足り、ことさら強制捜査をしなければならない事案ではないし、また、押収の必要もない事案であつて、本件は外国人登録法が政治的目的で濫用された典型的事例といわねばならない。したがつて、このような重大な不当違法の逮捕押収を手続の一環としてなされた本件起訴は、憲法三一条に違反するので、刑事訴訟法三三八条四号により公訴は棄却さるべきである。(二)また、かかる違法行為をなした国家による処罰は正当性をもちえないから、検察官に訴訟追行の利益、すなわち、訴追権はなく、免訴の判決がなされるべきである、というのである。

そこで、右につき検討するに、公訴の提起は、それが法定の手続に従つて適式になされた以上有効であつて、公訴提起以前の捜査手続に違法があつたとしても直ちに公訴提起の手続が憲法三一条に違反し無効となるものではないと解すべきものである。

いまこれを本件についてみるのに、本件で取調べた関係各証拠によれば、大阪府警察本部警備部外事課では、昭和四八年七月ころ、東大阪市に住む金得遠なる人物が金哲秀と名乗つており、近く韓国に密出国しようとしているとの聞込みを得て、同人に対し出入国管理令及び外国人登録法違反容疑で内偵を始め、同四九年三月二七日、金得遠の戸籍謄本を入手して同人の身分関係を確認したが、金哲秀なる人物の実在の有無及び所在が判明せず、引続き捜査を続けていた。そして同五一年一月二九日、法務省入国管理局登録課に金哲秀の登録原票の照会をしたところ、第一次登録貼付の顔写真と第二次登録以降の貼付の顔写真の人物とが別人であることが判明したので、さらに、金得遠(被告人)と戸籍上の金得遠が同一人物かどうか、また、金哲秀なる人物の実在の有無及び所在につきひきつづき捜査を続けていた。その後、昭和五二年二月二〇日に至つて、別事件を捜査中、たまたま朴東〓及び被告人のめいに当る金河愛の取調べから被告人が金得遠であるとの供述を得ることができたが、この時点ではいまだ資料が十分ではないと考えて、被告人の取調べ等は行わなかつた。そして、その後も捜査を続行していたが、昭和五三年五月ころ、被告人が北朝鮮に出国したままで帰国していない模様であるとの聞込みを新たに得たので、正規の手続で出国していないのではないかとの疑いのもとに大阪入国管理事務所で調べたところ、被告人が金哲秀名義で再入国許可を得て正規に出国しており、また、再入国許可を受ける際、被告人が自ら金得遠の氏名も使つているといつてそれを明らかにする資料を提出していたことを知り、ここに至つて、ようやく、被告人がまさしく金得遠であることを確信するに至つた。そこで、いまだ金哲秀という人物の所在は判明していなかつたけれども、長期にわたつて捜査を続けてきたので被告人に察知されたかも知れないとの判断から、強制捜査に踏み切ることとし、同年六月一日、被告人に対する外国人登録法違反、有印私文書偽造、同行使の被疑事実について逮捕状の発布を得て、同月四日、被告人が北朝鮮から帰国し新大阪駅に帰つてきたところを逮捕するとともに、所持品を押収した。しかし、捜査当局はその後も金哲秀という人物の所在については捜査を続けて、先に取寄せてあつた金哲秀の登録原票中に記載されていた金恒満なる人物の原票を取寄せ、そこに記載されていた家族に当つて調べた結果、金恒満の兄の金恒秀が金哲秀の第一次登録の写真の人物に似ているとの供述が得られたので、それに基づき金恒秀の原票を取寄せ、以上の捜査により、ようやく金哲秀というのが実は金恒秀なる実在した人物の仮名であることを確認することができ、本件捜査を終結するに至つた。以上の事実が認められる。

以上認定の事実関係により考えるに、被告人のめいである金河愛らを取調べた時点で、捜査当局は被告人が金得遠であることにつき有力な資料を入手していたと思われるのに、それにもかかわらず被告人に対する取調べを行わなかつたこと、また、法務省に照会して金哲秀の登録原票の内容を了知した時点で、同原票の記載から判明した金恒満なる人物につき引続き登録原票を取寄せるなどの捜査を行わず、被告人を逮捕した後に、初めて同人の登録原票を取寄せていること、そして、その理由として証人多田千代治が第七回、第八回公判調書中で述べているところはかならずしも合理的であるとは思われないことからみると、たしかに、本件捜査の進め方については首肯し難い点も無いわけではないが、他方、捜査当局は、当初は主として被告人の密出入国事犯の方に重点をおいて捜査を進めていたのであり、しかも、捜査を密行する必要から、捜査の進展状況が漏れて被告人や関係者らに罪証いん滅の機会を与えたり、被告人の逃亡という事態を惹起せしめてはならなかつた反面、逮捕の必要性及び時期については、それまでの捜査の経緯や状況、事件処理の見通し等、一切の事情を勘案して慎重に判断されなければならず、本件事案の性質及び捜査の進展状況等を考えると、本件において逮捕の必要性がなかつたとはいうことができないから、捜査当局が被告人の職業や地位を知つており、被告人が北朝鮮から帰国した直後にこれを逮捕したからといつて、それが北朝鮮に関する情報を収集することを目的としたものであると即断することはできない。また、たとえ韓国系の新聞紙上に本件事件について報道がなされた事実があつたとしても、捜査当局において朝鮮総連が違法な手段で朝鮮民主主義人民共和国と連絡をとつたかのごとき政治宣伝をする意図があつたとか、同国に対する敵視政策の一環として被告人を逮捕したということはできない。もつとも被告人を逮捕した後、捜査当局はいつたん押収した物のうち数点を被告人に還付し、その際、被告人に押収品目録を提出させていること、及び押収品の一部についてコピーをとり、コピーは捜査当局の手許にとどめて被告人に返していないことがうかがわれるのであるが、いつたん押収した物であつても、没収すべき物以外で、かつ事件の証拠として役立たないものであれば、被押収者に還付すべきは当然のことであるし、押収物じたいを還付すれば、それのコピーまで同時に還付しなかつたとしても違法ということはできない。そして、本来ならば被告人から還付請書を徴すべきところ、引きかえに押収品目録を提出させたとの点は適式ではなかつたとの批判は免れないとしても、右措置を目して、捜査当局が不当な押収の意図をいんぺいするためになしたものと即断することはできない。

そして、他に本件の捜査手続について、本件公訴提起の手続を無効ならしめるような違法な点は無いから弁護人のこの点の主張は採用することができない。

二  次に、弁護人は、公訴事実第一の事実(登録不申請)につき公訴棄却または免訴の判決をすべきであると主張する。すなわち、公訴事実第一は、明らかに外国人登録令(昭和二二年勅令二〇七号、以下旧令ともいう)違反の事実が摘示されてあるところ、昭和二七年四月二八日施行の外国人登録法は、附則二項において外国人登録令を廃止し、同三項において同法施行前にした行為に対する罰則の適用についてはなお従前の例によると規定している。同法が日本国との平和条約発効に伴い、わが国が独立国家として発足するに当り、外国人登録令の根拠法令たるポツダム勅令に代るべきものとして旧令廃止の形式をもつて新たに制定されたものであることを考慮すると、同法はその施行とともに外国人に対し旧令に基づく登録申請義務を免除し、同時に同法三条一項所定のとおり、その他の事由により本邦に在留することとなつた外国人として、旧令廃止後三〇日の猶予期間をおく登録申請義務を新たに課したものと解される。したがつて、被告人は、旧令廃止に至るまで所定の登録申請をしなかつた者として、外国人登録法施行後も同法附則三項により昭和二四年一二月六日政令三八一号一三条一号所定の刑責(一年以下の懲役若しくは禁錮又は一〇、〇〇〇円以下の罰金)を負うべきではあるが、旧令廃止とともに同令に基づく登録申請義務は消滅したのであるから、それまで継続した同令上の登録不申請の罪も同時に終了してその時から公訴時効が進行を始め、三年経過時である昭和三〇年四月二八日をもつて公訴時効は完成したというべきである。本件公訴は時効完成後である昭和五三年六月二二日に提起されたものであるから、旧令廃止以前の登録不申請にかかる公訴の部分は時効完成を理由に免訴さるべきである。また、前記のとおり、外国人登録法は昭和二七年四月二八日から旧令を廃止して施行されたところ、同法を旧令違反の事実に遡及して適用することは、憲法三一条、三九条、罪刑法定主義に違反し許されないというのである。

しかしながら、外国人登録法(昭和二七年法律一二五号)は、その附則二項において、外国人登録令(昭和二二年勅令二〇七号)を廃止する旨定めているが、同時に附則三項において、同法施行前になした行為に対する罰則の適用については「なお、従前の例による」と定めているのであるから、同法は同令の刑罰法令に関する部分については廃止せずに、同令の効力をそのままひき継いでいることは明らかである。したがつて、同令の廃止により同令四条一項の不申請罪は終了したものということはできないから、右不申請の所為につき同令の罰則により処断することはもとより、右不申請の所為が同令及び同法の施行時を通じて行なわれている場合に同法により処断することは、刑罰法令を遡及して適用することにはならないから、憲法三一条、三九条に違反するものではない。弁護人のこの点に関する主張は採用することができない。

三  次いで、弁護人は、外国人登録法は不法入国した外国人に対しては、同法三条一項の登録申請義務を課していないと解すべきであるから、公訴事実第一につき被告人は無罪であると主張する。すなわち、外国人登録法三条一項の新規登録申請に際しては、外国人登録申請書、旅券及び写真を提出しなければならず、右申請書の記載事項は、申請者の氏名の外に旅券番号、旅券発行年月日、上陸した出入国港、上陸許可年月日、在留資格、在留期間等とされているが、不法入国者の場合は、旅券に代えて本籍、出生地、居住地、本人の氏名、性別、生年月日等のほか、上陸地、上陸日時、現在に至るまでの経歴等を記載した陳述書の提出が要求されているところ、不法入国者にとつては、これを実質的にみると、右申請は同時に不法入国事実の申告そのものにほかならない。不法入国者の新規登録申請を受けた市区町村の職員は、刑事訴訟法二三九条二項、出入国管理令六二条二項、五項により、これを捜査機関に告発し、かつ、所轄の入国審査官または入国警備官に通報しなければならず、さらに入国審査官は同令六三条三項により不法入国者を告発する手続を行うことになつている。したがつて不法入国者は右登録申請をしないことによつて不申請罪の刑罰を科されるか、申請することによつて不法入国罪の刑罰を科されるかのいずれかの途を選ばざるを得ないから、不法入国者が登録申請義務を負うものとすると、自己が刑事上の責任を問われるおそれのある事項について刑罰をもつて供述を強要することとなり、憲法三八条一項に違反するというべきである。外国人登録法は、本邦に在留する外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もつて在留外国人の公正な管理に資する必要から、登録制度を設け、在留外国人に登録申請義務を負わせているが、一方、自己負罪拒否の特権は憲法の保障する基本的人権であるから、かかる人権を法律によつて制限するためには、きわめて高度の公共的価値を実現する場合に限られるべきであつて、外国人管理のためその居住関係、身分関係を明確にすることが、きわめて高度の公共的価値のあるものとはとうていいえず、自己負罪拒否特権を奪つてまで登録申請義務を強要する合理性はない、というのである。

そこで検討するに、外国人登録法三条一項の新規の登録申請に際して外国人登録申請書、旅券及び写真を提出しなければならず、右申請書の記載事項は、同法施行規則二条(別紙第一号様式)に規定するとおり、申請者の「氏名」、「性別」、「生年月日」、「国籍」等のほかに、「旅券番号」、「旅券発行年月日」、「上陸した出入国港」、「上陸許可年月日」、「在留資格」、「在留期間」等となつているが、不法入国した外国人が新規の登録申請をする場合には、旅券を提出することができないうえ、申請書に右の旅券関係事項及び「上陸した出入国港」、「上陸許可年月日」、「在留資格」、「在留期間」等を記入することができないため、これらの項目を空欄にしたままの申請書を出さざるを得ず、その結果、間接的に捜査当局に対して自己の不法入国の事実につき捜査の端緒を与えることとなり、ひいて自己の刑事責任に導く可能性のあることは否定しえない。しかしながら、同法三条一項の新規の登録申請は、専ら外国人の居住及び身分関係を把握するために必要な資料を収集することを目的とする手続であつて、刑事責任の追及を目的とする手続ではなく、申請義務の範囲も右の目的に関する事項に限られており、右のように空欄のままの申請書を提出したとしても、これをもつて、不法入国罪に関する不利益事実の申告であるものということはできない。また、不法入国者について、その居住関係、身分関係を明確にし、これを正確に把握する必要のあることはいうまでもなく、不法入国者に対し外国人登録法所定の申請義務を課することは、高度の公共的価値があることはいうまでもない。

したがつて、不法入国者に新規登録申請の義務を課しても憲法三八条一項には違反しないものというべきである。弁護人のこの点の主張も採用することができない。

四  また、弁護人は、被告人の判示所為は虚偽申請には該当せず、また、被告人には故意がないから、被告人は無罪であると主張する。すなわち、金哲秀という名前は、被告人が昭和二五年以来三〇年近くの間、自己の通名として使用してきたものであり、本件は被告人の通名による確認申請であつて、氏名の点で虚偽は無く、確認申請の際、担当係官は被告人の顔写真により登録原票と照合し、被告人を確認しており、顔写真という同一性識別の確実な資料で申請者の特定がなされているものであるから本件は虚偽申請ではない。生年月日については、客観的事実と若干くい違つているが、生年月日は氏名とあいまつて申請者を特定するために記載されるものであるから、申請者の特定さえできれば虚偽申請にはならない。

また、被告人は、金哲秀という名前を昭和二五年以来自己の通名として使用してきたものであるから、虚偽であるという認識を有しておらず、犯意が無い、というのである。

そこで考えるに、前記認定のとおり、被告人は、すくなくとも昭和三六年九月ないし昭和四五年九月ころ以降金哲秀という通名を用いてきたもので、本件登録申請についても右通名をもつてすると共に同一性認識のため被告人自身の顔写真を提出していることは明らかであるが、外国人登録法は、本邦在留の外国人について身分関係及び居住関係を明らかにして外国人の公正な管理を行なおうとするものであり、その目的に資するために同法三条一項の登録申請と共に同法一一条一項の登録確認制度を設け、外国人登録証明書の不正入手、不正使用を防止し、登録の正確性を維持しようとしており、また、同法が居住地に変更のあつた場合のほか、登録事項中氏名、国籍、職業、在留資格、在留期間、勤務所又は事務所の名称及び所在地のいずれかに変更を生じた場合に変更登録の申請をなすべきことを要求している趣旨にかんがみると、同法上は、登録申請者の氏名、生年月日等の身分関係、居住関係を明確ならしめる必要のある事項については真実のものをもつて登録申請及び登録確認申請をなすことを要するものとしているものと解すべきである。氏名について真実の氏名に通名を併記して申請することはともかく、真実の氏名を明示せずに単に通名だけをもつて申請をすることは許されず、生年月日についても真実の生年月日をもつて申請することを要するものといわなければならない。かような次第で、被告人が単に通名である金哲秀の名によつて登録確認申請をなし、生年月日についても真実と異るものをもつて右申請をしている以上、真実に反する申請すなわち虚偽の申請であるといわざるを得ない。そして被告人も、外国人登録証明書に表示してある金哲秀という名称及び生年月日がいずれも真実のものとは異るものであることを認識しながら本件登録確認申請を行なつているのであるから、虚偽の認識が無かつたということはできない。この点に関する弁護人の主張も採用できない。

よつて、主文のとおり判決する。

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